斎王兄妹掌編集 異形の詩篇

第三幕、その咎が赦され、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。(四期)

わたつみの閑話

 ――遠く、潮騒の音が聴こえる。終末の訪れを女は独り、待っている。

 とある孤島にあり人々の喧騒から隔絶された療養施設、その真っ白な病室の真ん中で待ちかねていたように女は笑った。
「久しいな、岩丸」
「…………ああ」
 仮想空間に消え、半年もの間肉体から離れ酷く弱っているなどとは嘘のようだった。女の眼差しは今もこちらの魂を掴み取るように強く、鋭い。本来ならあの海馬ランドで女との因縁は終わったはずだった。俺以外の四帝は皆、自分たちを弄んだ女のことなど忘れたいと言っていたし俺も同じ気持ちだった。
 それがどうだ。俺は忘れるどころか海馬コーポレーションに勤める叔父を頼り女の居所を必死に探し、縁者だと言い募ってまで面会に漕ぎつけた。
 全てはこの手にあるカードによるものだった。
「それで一体、何の用だ?」
「あんたなら俺の用事くらい、お見通しじゃないのか」
「事象は見通せるが……あいにく、人の心までは読めぬ」
 とぼけているのか事実なのかは知らないがこちらは長居するつもりもない、さっそく本題を切り出す。
「この地帝グランマーグのカードを、あんたに返しに来た」
 俺の手にあるカード、それは元々四帝の力の象徴として渡されたものだった。俺たちが女に処分された際に回収したものと思っていたが何故かこれだけが俺の手元に残っていた。
「そのカードは既にお前のもの、好きにするがよい」
「どういうつもりだ、俺にはもう四帝の力は必要ない」
「私ではなく、カードがお前を選んだのだ」
 決闘者として名誉なことではないか?と女は笑う。全く意味が分からない、また俺を弄んでいるのか。
「納得できぬか……ならば、お前に決闘を申し込もう」
「どうしてそうなる、ふざけているのか?」
「その方が分かりやすいだけだ、さてどうする」
「……受けて立つ」
 弄ばれているのだとしても決闘を申し込まれて逃げるようでは意味がない。俺は女への恐怖を断ち切るためにここまで来たのだから。思い出す、路地裏の決闘で蹂躙された恐怖、そして与えられた力で勝った時の高揚と無力感。全て今日でケリをつけてやる。

 ……決闘の結果は、女の惨敗だった。俺が特別善戦したわけでもなく、女の手札が勝手に事故を起こして総崩れになっていた。何なんだこれは?俺の疑念を読み取ったかのように女は口を開いた。
「手を抜いたわけではない、これが私の決闘の腕だ」
「嘘をつくな、十代やプロのエドフェニックスまで相手にしていた奴がよく言う……」
「私は決闘者ではない、運命を見通しそれに従ったまでのこと」
「あんたにとっては決闘も運命のうちか、この敗北もそうだと?」
「その通り、そしてお前には今や精霊の加護がついておる」
 どういう意味だ、と言おうとして驚く。女の背後にある窓に、一瞬巨大な地帝の影が見えたような気がした。
「……私はデュエルモンスターズの精霊と心通わすことは出来ぬ、だが力持つカードたちは悪しき心の持ち主に渡るのを拒み私の元へやってくる。いずれ来たる主を待つために」
「グランマーグの待っていた主が俺だと?そんな馬鹿な」
「だが事実、そのカードはお前を選び私の元から離れた。私の意思が介入する余地はない」
「そうだとしても……俺は、俺自身の力で勝たなきゃいけない。グランマーグはあんたに返す」
 女の顔が僅かに曇る。悲し気に、寂しげに。何だというのだろう。
「頼む、どうか連れていってやってくれ。カードとの絆はきっとお前の助けにもなるだろう」
「……どうして、そこまでグランマーグを渡したがるんだ、あんたに得なんて無いだろう」
「そうだな、確かに私の行為は無意味とも言えよう……もうじき、黒き海嘯が押し寄せる。現世を呑みこまんとする闇が全てを無に帰すだろう」
「何を言ってる、破滅とやらは回避できたんじゃなかったのか!?」
「運命は移ろいゆくもの。所詮、人の意思では大いなる流れを堰き止めることは出来ぬ。私も、お前もな……」
 先ほどの表情が嘘のように女は嘲笑っている。妖しく煌めく女の瞳に冷や汗が止まらない。ああ、こいつはやはり化け物なのか。蘇る恐怖心のままに女に背を向け、病室のドアへ向かう。
「……余計な話はもういい、グランマーグを受け取らないんなら帰る。あんたともこれでおさらばだ」
「そうか、ならばよい。お前の道行きにどうか精霊との絆があらんことを」
 わたしはもう手遅れだから、そんなか細い声が聞こえた気がして振り返ると穏やかな日差しの差し込んでいた病室は真っ黒に塗りつぶされている。足元は生ぬるい水に浸り、押し寄せる閉塞感に息が詰まった。その異常な光景に叫んだのか喚いたのか定かではない、気づけば療養施設の外まで逃げ出していた……俺はまた恐怖に負けたのか。絶望感が胸を満たす。
 しかし、最後に見た病室。塗り込められた闇の中に居たのは小さな子供、だったような。あの子供は俺に助けを求めてはいなかったか。
 それでも引き返す勇気もなく、俺はグランマーグと共に施設を後にした。戻ってくることはもうないだろう。

 ――遠く、潮騒の音が聴こえる。終末の訪れを女は独り、待っている。

アンドロギュヌスの片割れ(後編)

 ――遥かに遠い世界の果て、そこに楽園はあるのだろうか。

 逃げよう、と兄さんが言った。どこに?と私が返す。
「どこへだっていい、きっと私たちが幸せに暮らせる場所があるはずだ」
 本当にそうかしら、兄さんが言うならそうなのでしょう。互いに倦んだ身体を引き摺り、逃走の準備を始めた。

 この世界を呑み込まんとする闇、ダークネスの調査のために用意された私邸で私たちは途方に暮れていた。共に調査をしていたはずの人間たちはいつのまにか消え、その名前すら思い出せなかった。資料も殆どが黒く染まり判別も出来ない。そもそも療養中だった私たちがどうしてこの私邸に招かれたのか、誰かが手を差し伸べてくれたはずなのに、記憶は欠け落ちていた。
 これがダークネスによる侵攻なのだという知識は残っていたが、それは私たちに新たな恐怖を刻みつけるだけだった。
 互いの存在を忘却し、真の孤独に叩き落とされる。その耐え難い苦痛から逃れるべく私たちは再び逃げ出した、例えそれが儚い現実逃避だとしても他に道はなかった。

 この逃避行に未来はないこと、私はいずれダークネスに捕らえられること、未だに残る未来視の力で痛いほど分かっていて、それでも兄に従った。私のカードは既に闇に染まり精神までをも蝕む、壊れかけの魂は一層強く片割れを求めた。逃走の果てに辿り着いた海辺、もはや現の境すら分からなくなっていた。波の音と、兄の声だけが聞こえる。
「美寿知、お前の目に映るものこそが真実。さぁおいで、私たちの在るべき場所に……」
「……兄さん?そこに居るの……?」
 ひたひたと脚を濡らす海も気にせず私は兄の元へと向かう、そうして私は漆黒の水に溶け……ダークネスに捕らえられた。

 兄を騙り私を捕らえたダークネスの化身は恭しく頭を下げた。
「ようこそダークネスの世界へ。私は真実を語る者、トゥルーマン。ミスターTとでも呼んでくれたまえ」
「私を騙しておいてよくも真実などと、兄さんはどうした」
「それは君が一番よく理解しているだろう?」
 ぞわりと背筋が強張る。思い浮かぶのはかつて失った力を求め、闇に呑まれる兄さんのビジョン。
「君の兄は普通の人間になっても力への欲望を捨てられなかった。しかし今こうして君が捕らえられたことによって、彼は大義を得た。闇に身を委ね大いなる力を求める、全ては彼の望みだ」
「……私は、そのためだけに利用された」
「こちらにも事情があってね、用事が済めば彼は君の元へ返そうじゃないか。此処で兄妹仲良く暮らすといい、闇に溶けるその時まで」
 ダークネスの化身の言葉に、蝕まれていた精神はあっさりと折れた。兄を力への欲望から解放し、共に安寧の闇へ沈む。それが私の選択だった。

 十代との決闘に敗北し、ダークネスへと取り込まれる兄に寄り添い微笑みかける。
「ありがとう、私たちをこの世の罪から解放してくれて」
 そうして私たちはこの世界という鎖から解き放たれた。安らかに眠る兄を抱きしめ、微睡みに身を任せる。それを許さなかったのはダークネスの化身。
「上々の結果だった。君たちには感謝しているよ」
「……お前の言う通り。私たちは此処で永遠を過ごす、疾く失せるがいい」
「おや、邪魔をしたようだ。仰せのままに、我らが女王陛下」
 そう言うとダークネスの化身は消えた、真実を語ると宣う割には無駄口の多いことだ……だがもうどうだっていい、兄さんが私の腕の内に在る。何もかもが失われてゆくこの世界で、それだけが私の全て。
 兄と二人、常世の淵で安寧を貪る。遠くで誰かの呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 ――遥かに遠い世界の果て、私たちは荒野を彷徨う。罪を背負い、どこまでもゆく。

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