斎王兄妹掌編集 異形の詩篇

第一幕、悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、嘲る者の座にすわらぬ人はさいわいである。(幼少期)

ソロルの追憶

 ――小さな無垢の命、これだけが僕に残された全て。

「……みずち、みずち、ぼくのいもうと……」
 何も見えず、何も分からず。どこまでも白くぼんやりとした世界で、優しい神様の声は私に降ってきた。それはきっと福音だった。
「僕のたった一人の家族、僕の片割れ……僕はお前を独りにはしないよ」
 細く、冷たい腕がわたしを抱きしめる。その境界をなぞり、わたしはわたしの輪郭を得た。小さな手を伸ばし神様に触れればその人はくすぐったそうに笑う。
 ああ、綺麗。もっと笑ってほしい、もっとあなたを知りたい。神様がまた口を開けばわたしは大好きな声に耳を澄ました。
「僕のものは何だってお前にあげる、どんな怖いことからもお前を守ってあげる。だから、だから……ずっと僕の傍に居て」
 兄さん、わたしはずっと傍に居ます。言葉の紡げない口の代わりに神様の手を握れば、その顔が柔らかく綻ぶ。優しい、愛しい兄さん。
 わたしは神様と約束をした、それがわたしの何よりも古い記憶。生まれたばかりの宇宙、全ての愛、全ての祝福が此処に在った。

 ――抱きしめた命に呪いをかける、妹の魂が永劫僕のものであるようにと。

アンドロギュヌスの片割れ(前編)

――遥かに遠い世界の果て、そこに楽園はあるのだろうか。

 逃げよう、と兄さんが言った。どこに?と私が返す。
「どこへだっていい、きっと僕らが幸せに暮らせる場所があるはずだ」
 本当にそうかしら、兄さんが言うならそうなのでしょう。互いに傷んだ身体を引き摺り、逃走の準備を始めた。

 とある小さな孤児院、物心ついた頃には此処にいた。私たちには人の未来を見通す力があること、それは人々にとって理解し難く恐ろしいものであるということを、私たちは孤独と痛みによって覚えた。化け物と疎まれ、暴力の矛先を向けられる。兄さんは私を庇い、より多くの傷を抱いた。このままでは私たちはいつか死んでしまう、そんな恐怖が染みついていた。
 私たちは自分の未来だけは上手く見通すことが出来ない、兄さんとの逃避行は不安と微かな期待の中始まった。

 初めて歩く外の世界、冬空の下どこまでも続く灰色の道を進んだ。遠く、遠く、人の世から逃れるように。もう悲鳴を上げられることも殴られることもない、飢えも寒さも、兄さんと寄り添いあえば平気だ。
 死んだように静かな果ての世界、私たちは幸せだったのかもしれない。だがそれは儚い現実逃避に過ぎなかった、警察に捕まり連れ戻された私たちは一層激しい迫害に晒され、納屋の隅でやっと息をしていた。いつ死んだっておかしくない、冬空を眺めながら終焉に思いを馳せた。

 しかし、未来視の力を聞きつけたある富豪に引き取られたことで私たちの運命は大きく変わる。占い師として身を立てる、それが私たちの新しい生き方。それからはずっと疎まれていたのが嘘のように多くの人間たちが私たちを求め、私たちの力に縋り付いてきた。人の生を俯瞰しその運命に干渉する、神の如き冒涜も私たちにとってはただの生きる手段だった。
 こうしてやっと安住の地を見つけたと思っていたけれど、憩えた時間は僅かだった。兄が破滅の未来を見通してしまったのだ。一度死の恐怖から解放された私たちには、余りにも残酷な仕打ちだった。 私たちは破滅から逃れるためにどんな犠牲も払う、死を待つ日々には戻らない。それがどれほど罪深いことだったとしても、決して赦されないとしても。

 ――遥かに遠い世界の果て、私たちは荒野を彷徨う。罪を背負い、どこまでもゆく。

Page Top